世の中にはいろんな方がいる。それで成り立っているから仕方がない。何らかの依頼に対して『イヤ!』というお断りの言葉を即座に口にできる方もいれば、相手に「悪いな~」なんて気持ちが優先して?なかなか口から出てこない方もいる。で、後になって、「しまった!」「断ればよかった!」なんて後悔する方もいると思う。私も以前は、後者だった。
人が生きている意義を考えるとき【ヒト様の役に立つ】というのは、とても重要なこととも思う。いつもニコニコと頼まれごとを快く引き受けられる器量が望まれるのかもしれないが… 時と場合、あるいは、立ち位置によって、軋轢が生じる場合もある。多分、【お互い様】がそこそこ成り立っているのなら、あまり問題は生まれない? のかもしれないが… 一方的に【頼まれごと】が続いたりすると、「なんで、いつも私ばっかり!」ってな感情がフツフツと生まれてきたりもする。中には、【お互い様】が成り立っていようがいまいが【頼まれごと】にいやな顔一つせず快く引き受ける殊勝な方もいるとは思うが…
【困っている方】を助けることは、しなくてはいけないことではあるけれど、中には、特に【困っている】わけでもないのに、【頼み事】をしてくる方もいる。で、1度「いいよ~」なんてやってしまうとそれが当たり前になってしまい、気が付くと【利用されている】状態、あるいは、その頼む方にとっての【便利屋】になってしまっていたりする時もある。それでもかまわないのであれば、何の問題もないのだろうけど、そうでないから、文句や愚痴が出るようになる。
人間、生きていれば誰かに何かしらの世話になっている。そんな感情が優先されるのか、【頼まれごと】を安請け合いしてしまうことは少なくない。安易に引き受けるくらいなら問題は少ないかもしれないが、本当は断りたいのに、断ることのできない自分のせいで引き受けてしまったりしたら… 心の中で文句タラタラになるのも致し方ないと思う。
昔の話だけど、子どもの服なんかを縫っていた時期があって、「うちの子にも作って~」と頼まれ、「いいよ~」な~んて安請け合いをした時があって、後で反省した。請け負っちゃたので仕方なく1着縫って渡したけど、製作中ひとっつも楽しくなかった。人によっては、よその子の洋服作って楽しめる方もいるのだろうけど私はダメだった。その時、自分の心にわだかまりが生まれるような【頼まれごと】はもう受けないぞ~!と思ったもんだ。でも、よ~く考えるとね、↑ の場合、頼む方は、縫物がどの程度時間がかかるとか知らないわけだし、お気軽に頼んでくるのもしょうがないのかもな~などと後で思ったかな。「見て!見て!私が縫ったんだよ!」な~んて伝えた言葉が、自慢げに聞こえ、相手が気軽に頼んでもいいものと思ってしまうことだってないとは言えない。自分に自覚がなくても、そんな風に【頼まれごと】の種を自分でまいている場合だってある。
3男が小学生の時の部活で、他の部員(1つ先輩)の夜練習のお迎えをそのお宅から頼まれた時もある。その部員のお住まいが比較的近所で、【ついで】感があったので、引き受けたけど、夜の練習があるのわかっているのに、「車の都合がつかないので…」とかってことらしかったけど、うちが入部するまでどうしてたんだろう?って思ったもんだ。でも、自分の子どもが行かないときは、ハッキリ断った。そういうときのやり取りは日頃そんなにお付き合いがあったわけではないので、めんどくさかったな~。 (人間小っちゃい?)
↑ の時期は、すでに自分の中で、「ここまではいいけど、この先はダメ」的な【頼まれごと】への対応の指針ができていて、キッチリライン引きが出来上がっていた。「冷たい!」とか「ドライ!」とか思う方もいるかもしれないが、私はそうしてた。 自分はそんなにいい人でもないし、何より、身体は1つしかないし、そんなに器用な出来でもないので、自分のできる範囲のことに優先順位を付け、無理と判断したらバッサリ切ることにしていた。この方法は、【バッサリ切る】ことに罪悪感を感じる方はダメだろうけど、【手助け】はするけど【肩代り】はしないみたいな感じかな~、【人助け】と【余計な手出し】との差異?そんな風に考えていた。
ご近所の方が、「具合が悪いので、病院に連れて行ってほしい!」なんて【頼まれごと】もあったな。そのときは、3男の授業参観だかがあったけど、「人命優先だろ」と躊躇なく病院へ連れて行った。そのころには、いろんな事柄をいろいろの場面で天秤にかけシュミレーションも済んでいたように思う。
(↑ 変わり者?)
「断りずらかったから…」とか、「相手の押しが強かったから…」とかって、【頼まれごと】を不本意ながら受けてしまうこともある。でも、私は、不本意だったといっても受けてしまったのは事実なわけで~。それなのにそれに対して愚痴るのには少なからず抵抗を感じたので、最初の1歩は、「後で愚痴るくらいなら断る」だったように思う。【愚痴】の多い人生なんて歩みたくないもんね~ってのが大きい。その後に、【主体的に生きる】なんてのがニョキニョキと(;^_^A、【頼まれごと】も『自分が受けたいから受けた。』という感情が先に来ると、相手がどうでも関係なくなる。やれ「私ばっかり」とかはなくなる。
現実はね~人間関係はもうちょっと複雑で、【主体的に生きる】ばかりを通せないことは多い。でも、【主体的に生きる】=【自分は損をしない】はあまりよくないね。人にもよるとは思うけど、私は、借りを作るより、【借り】を貸しといた方がいいと思ってる。【頼み事ばっかり】な~んて方は除くことになるけど、【世話になっている】感覚が、相手の方が重い状態にしておく感じ? 上手く言えないけど、人間関係って、頼み頼まれ、助け助けられのような【GIVE AND TAKE】的な感覚の方が多いから、交互に順番が巡ってくるとして、こっちが【貸し】を作った状態で終わらせておくようにする。「結果、損することになるじゃんか!」という方もいるかと思うけど、私は、目先の損得に振り回されているようでは、よりよい人間関係は構築できないとも思ってる。
まあ、そんなこんなで、今の私は、自分の指針を元に【断るべき】と判断したモノは、躊躇なく【断る】ことができる。だって、無理は無理なんだも~ん!誰かの【便利屋】になるのもごめんだし~
って、【『イヤ!』と言えない貴方が『イヤ!』】じゃなくて、【『イヤ!』と言えない過去の私がが『イヤだった!』】って話になってしまった。(~_~;)。


