先日、スーパーで近隣の駅伝強豪校にお子さんを通わせるママさんに会った。その彼女のお子さんは、バスケをやっていたけれど、中学の駅伝をきっかけに高校から本格的に長距離を始めて、どちらもかぶっているようなうちみたいな家とは、バスケがらみ?、駅伝がらみ?なせいか、親しくしている。
「インターハイ楽しみだね~」なんて話を振ったら、「レギュラー争いが厳しい!」と返ってきた。インターハイエントリーは各種目、各校3名で、1人2種目まで。長距離部門で出場するなら、1500m、5000m、3000mSC… 大会出場選手をレギュラーと考えるなら、枠は【9】。その高校の駅伝部は… 3年生が引退しても部員数30数名とか?、公立の強豪校はそんな感じなのかな? 2男は私立だったせいか、もうちょっと少なかったように思うが… 速い選手は、1500mと5000mとって、重複してエントリーをするし… 来年度は、新入生も入部してくる。より枠は狭まる。「レギュラー争いが厳しい!」というのは、よくわかる。
で、また、5000mのタイムは、進路選択にもかかわると言う事で、監督にうるさく言われるらしい。5000m15分を切ると、年度末の陸上の雑誌に
【5000m、15分切り選手】って名前が載ったりもするし、一つの区切りなのだとは思う。
陸上長距離は、世間的に人気の高い駅伝があるせいか、他の競技に比べれば、進路先の間口は広い方とは思う。けれど、やはり、概ね持っているタイムによる。その高校長距離選手が在学中に結果を残していれば、強豪大学から話が来るだろうけど、高校の推薦で希望大学にって場合は、その大学によって推薦されるのに必要なタイムはあるのじゃないかな?。前にも書いたけど、2男の後輩は、某大学志望と監督に伝えたら、「後、〇〇秒縮めて下さい!」と言われたと… そんなことも聞いたことがあるので、そんな風に思う。選手の評価を持ちタイムだけでやっているわけじゃないとは思うけれど… 選手を見なくても、タイムだけでほしいってことはあるかもしれない。
が、2男は、インターハイ予選で、5000mを走らせてもらったことはない!(^^;) そんな選手でも、大学で走っている場合もある。【青田買い】って言っていいのかな? 高校の立地にもよるかもしれないけど、ある程度の実力のある高校には、大学の監督やコーチが見学に来たりするし、そんなときに気になる選手の1人になれれば、大学の合宿にお試し参加なんてのもある。
(うちは、↑ のパターン)
高校時、大学の練習に参加していても、その後の活躍で他の大学から声がかかっちゃったりして、先に声をかけてくれた大学進学を断る選手もいる。能力のある選手にとっては、大学の練習参加も進路選択の情報みたいなものになるのだろうね~。返事を保留にしてれば、確約ってわけじゃないもんね。選択肢が増えた段階で再考って事にもなるだろう。個々の選手がどこで伸びるかなんてわからないし、複数の選択肢があれば、1つを選ぶしかないわけで… ぜいたくな悩み?ってことになる選手もいる。
難しいよね~、ただ「走りたい!」だけでも、最終学歴になる大学。その先には就職が待っている。どこでも、出てりゃあいいってものでもない。また、【箱根駅伝】で走りたい!が目標になるなら、優勝を狙えるチーム、シード権をとっているチーム、シード権はなくとも、毎回出場しているチーム、その辺のクラスの大学には進学したい。世代上位陣の1握りの選手以外は、実力によっては、希望が通るのが難しい場合もある。陸上に限らず、なんでもそうだけど、希望する人間が多いなら、そこは選抜になる。間口の広い大学もないわけじゃないけれど、進級時にふるい落としがあったりもする。後は、〇〇大だったらエース級なのに、大学によっては、エントリーもされないとか? そんなこともあるし、悩みどころは盛りだくさん!
2男は、幸か不幸か、合宿に誘ってくれた大学以外に声をかけてくれた大学もなく、陸上つづけたけりゃそこしかないでしょ!という感じで進学した。時期的には、高3の春だったかな? 高校の監督が「進学は〇〇大で話を進めていいですか?」と確認があったので「お願いします。」という事になったんだよ。
↑ な風に、本人が進学先を決定していれば、他は話が来ても高校の監督でストップされるのでその後の話を聞くことはないけれど、インターハイ地区予選の決勝に残るような選手は、概ね、声はかかってるように聞いている。うちは、その時期まで待たなかったので、本当のところはわからない。でもね~考え方にもよるとは思うけど、たいそうな選手でもないのに、声かけてくれたのも何かの縁だし、早い段階で「おいで~」と言ってくれたことに感謝してもいたし、入学決定にためらいはあまりなかった。
本当にね~、2男はラッキーだけでここまで来たって感じ。高校3年間でまともにエントリーされたのは、800m、1500m、3000SC! そして、大した結果も残せていない。(^^;) 2男は、中学時代は、短いのもそこそこ速かったけれど、だからと言って、高校で専門にやっている選手にはかなうわけもない。もう、筋肉の付きからして違ってる。当時、「この世界で生き残るには、短いのではダメだわぁ!」な~んて思ったもんだ。
(^^; ↑ 勝手な母親の意見)
だからと言って、長距離が向いていたかも微妙なところ。(^^;) 本人が走るのが好きだから続いてるのだろうな。
高校5000mで、15分台で走っている選手は、15分を切るのが目標になる。14分50秒で走っている選手は、14分40秒が目標になる。14分40秒の選手は…、 で、そのママさんに、2男の大学進学当時の話をした。「5000m、15分切ってないのに進学しちゃったよ!」的に… そのママさんビックリしてた。まれな例かもしれないけれど、そういう子もいる。大学の監督が、2男にどの辺まで期待していたかはわからないけれど、とりあえずAチーム(駅伝エントリー候補選手グループ)に残ってはいるし、こんなもんでいいのかな~なんて、勝手に私は思っている。
タイムだけが選手の価値を決めるものではないとは思うけど、何か特出したものがなければ、それだけではかられるのも事実。他人より、より速く走れているのなら何の問題もないかもしれないが… それが難しいので、悩む。
走っていない一般人にしてみれば、15分00秒と14分59秒の差なんて、大差ないんだけど、アスリートって大変だよね~



まさに現在、某県の強豪高校で陸上長距離を走っている高2の息子を持つ父親です。
中学時代、たいしたタイムもないのに、伸びしろ期待され、スポーツ推薦で入学させてもらったものの、同級生や先輩のレベルの高さに入学式前から心折れかかり、それでも高1秋の記録会で5000mを15分4秒の自己ベストを記録。14分台も見えてきたと思いきや、そこからまた壁にぶち当たったのか記録が伸びず、またもや心折れかかっております…。やはり顧問の先生からも14分45~50秒というのが大学推薦の目安と聞かされており、この秋になんとか壁を乗り越えてほしいと切に思う今日この頃、リアルなブログを発見し、思わずコメントさせていただきました。
これからも高校~大学陸上長距離のお話をお聞かせくださいませ。
ご訪問、コメントありがとうございます。
うちの2男は、現在就活中です。
中々思ったような結果は出せませんでしたが、部活をやっていてよかったと申しております。
「40歳までは、走るぞ~!!」
とも申します。
「〇〇走れば△△秒速くなる」との確約のない世界、壁はいろいろかと思いますが、続けるということにも意義はあると私は思っています。
お父様ならではの良いサポートができるとよいですね。
またのご訪問、コメントなどお持ちしています。
そうですね、「継続」大事だと思います。
高校3年間、そしてその先の4年間につなげる意味でも、結果はどうあれ努力し続けてほしいと思ってます。
チームのレベルが高く、インターハイ出場は厳しそうですが、高校駅伝の7人に入れるようバックアップしていきたいと思ってます。
父親ならではのサポート…そうですね、わたし自身も陸上ではないですが、大学4年間を体育会の運動部で過ごしておりましたので、その体験などを話してあげたりはしております。また一人っ子なもので、父親としてプラス、ちょっと歳の離れた兄貴のようにゲームの相手をしたりして、息抜きにつきあっております(笑)
前回の訪問からおよそ1年半、サポート結果をご報告
させていただきます。
2017年
9月 5000mで初めて15分切り(14分53秒)
10月 高校駅伝県大会2位で都大路出場ならず(息子はエントリーまで走らず)
11月 高校駅伝地区大会で高校駅伝初出場。 7区を任され区間賞受賞
2018年
2月 大澤駅伝大会でチームが優勝(7区を走る)
5月 高校総体県大会 5000mに出場。おしくも7位で地区大会出場逃すも
自己ベストを更新する14分41秒。 大学もスポーツ推薦で進路決定。
10月 高校駅伝県大会でまたしても7区を任され、2位と12秒差のトップで
タスキを受けるが、ラスト1kmで並ばれ、そこから競技場まで並走も
ラスト200mでスパートし、宿敵を振り切り、3年ぶりの都大路出場を
決める。
11月 高校駅伝地区大会でチームは優勝も息子は出走せず。
12月 都大路でチームは入賞するも再び7区を任された息子は区間17位と
順位を下げる走りで悔いを残す…
3年生の誰に聞いても最高の仲間達と口をそろえて言うほどの強い絆で結ばれた
同期の仲間(男女選手及びマネージャー合わせて24名)に囲まれ、本当に充実した
3年間だったようです。
先週末に卒業式・謝恩会が行われ、最高の仲間達も進路はバラバラ。これからの
4年間はライバルに。
そして昨日入寮の日。 たくさんの荷物と一緒に息子を送り届け、父親としての
サポートも一区切りです。
この3年間は応援にサポートにわたくしの方も充実した3年間だったので、
ぽっかり心に穴が開いたような、またホッとするよりもさみしさの方が強く、
しばらくは息子ロスが続きそうです…
それでも子供のころに見つけた夢を現実の目標に変えて走り続ける息子を
離れて暮らしていても間接的にでもサポートできたらと思っております。
長々と失礼いたしました…。