↑↑↑ のような説明が~ 長男、2男の高校時代、不登校について、高校側が学年部会などで時間を割くなんてことはなかったので、少々びっくり。多分不登校は、以前より、その数も増え、誰でもその状況になりうる可能性が少なくないモノという扱いになってきているのだな~と感じた。で、続いて、対応についての下記のような説明があった。
丁寧な説明があり、学校側のなんとかしたいという思いは感じたけれど、いざ、当事者になった時、文言通りにできるのだろうか? 文言通りにしていれば、良い方向に向くものなのかどうか? 少し疑問にも思った。様々な要因、様々な状態、段階による様々な対応。人間そんなに器用に立ち回れるものだろうか?
「学校、行きたくない!」なんて、学校生活長いのだから、その中で、誰だって、1度や2度は思うことがあると思う。それが、単発的なものなのか、不登校のきっかけになるモノなのかの判断も難しいと思う。
うちも過去に長男が中3の時「学校、行きたくない!」って訴えてきた時があった。原因も分かっていたし、(受験に失敗したかもと勝手に思い込んだ。)その時は、不登校になるのが怖いというよりも、そんな理由で学校へ行かないという選択を認めるわけにはいかない!という姿勢で、強行突破した。要因がある程度ハッキリしていて単発的なものなら、↑ のような、「首根っこ捕まえて何としても学校へ行かせる。」という親の姿勢も有効かもしれない。
でも、場合によっては、それが裏目に出るときもあると思う。その子にとっての障壁がどの程度のモノで、いかなるサポートが有効なのかはわかりにくい。私は、「学校は行かなきゃあかんだろ!」と思っている人間ではあるけれど、もし、その子の障壁がどうしようもなく大きなモノであるなら、【通学=その子の幸せ】という考えも再考が必要になってくると思う。
人間社会で生きるなら、嫌いな人間はいてもいいけれど、人間を嫌いになってほしくない。とずっと考えていたし、子育てもそれを骨子にやってきた部分もある。人間なのだから【人の中で生きるが前提の人生】が良いのでは、と思っている。でも、一部の子どもたちは、それが難しいことになってしまっている。要因はいろいろあるのだろうけど、私たち大人が、どこかで間違ってしまったんだろうか? もしそうだとしたら、どこで間違ってしまったんだろうと、時々頭を抱えてしまう。


