「努力しなよ~!」
「努力しなきゃダメじゃん!」
って、気軽に言葉をかけてしまうけど、よ~く考えると、それでいいのかね~なんて思ったりもする。(^^;)
【努力は必ず報われる!】
なんて言うけれど、達成しようとしている目標があって、それが、例えば、
オリンピック代表選手になる
って事だった時、↑ を目標に掲げている選手はそりゃあもうたくさん。でも、マラソンでいったら、代表枠は男女各3名。そうすると、↑ を目標に掲げ、代表枠から外れた選手の努力は、報われていないって事になる?
例えば、目標が、全中だったら? 陸上の場合は、標準記録の突破になるけど、努力したって、思うような結果が得られるかっていうと、そんな保証はない。そんな事を考えると、報われる努力の方が少ないように思える。でも、陸上を続けるなら、中学でダメでも、高校で頑張るってのも可能とは言える。
うちの3男は、中学時代、バスケットボール部に所属していて、目標は、県大会優勝な~んて言ってた。他の部員もそのくらいの事は思っていたとは思うけど、顧問の悪口ばっかり言って、練習にまじめに取り組まなかった。だから? 地区では、負けなしだったけど、県ではコロッと負けていた。でも、努力していたら、↑ の目標が、達成できたかどうかなんて、定かじゃない。その頃のレギュラーメンバーは、小学校の時からの付き合いになるけれど、そもそも地道な練習ってのが、好きじゃない傾向があったように思う。
練習をサボる事=カッコイイ事
とでも思っているんじゃないかと思った事もある。練習をしなくても、上手くて強いってのが彼らの理想? だったのかもしれない。でもな~、そんな事あるわけないわけで… 顧問の悪口で、「あんな練習じゃ、強くなれない!」とか聞かされた事もあるが… もしそれが事実だとしても、与えられた練習をサボっていい理由にはならないと私などは思う。でも、彼らはそうではなく、必ず勝てるであろう練習がしたい? それ以外はやっても無駄! と思っているようにも見えた。
効率のいい練習をして、サッサか勝ちたいって気持ちはわからなくもないけれど、「あんな練習じゃ、強くなれない!」って言うんなら、「あんな」以外の練習を提案すればいいと思うけどね~。それをしないで、自分の思った練習じゃないから、真面目に取り組まないって、なんじゃー!って私なんかは思っちゃう。普段の練習をサボったら、レベルの維持も難しいように思うけど、そんな風には考えないんだね。時間は限られているのだから、効率を無視するわけにはいかないとは思うけど、どんな理由があるにせよ、コートでボールを使っての練習を、ないがしろにするって、バスケットボールというスポーツに取り組む者としていかがなモノかと思う。
そんな姿を見ていて、なんというか、彼らは、良い結果の確約のない努力=無駄 と考え、それをしたくないって事? とも感じた。それってどうなんだろうね~ 先の事なんてわからないのだから、
ごちゃごちゃ言ってないで、1歩踏み出す!
って事が大事なんじゃないかと思うけど、そうでもないのかな~? 目の前にあるモノにMAXで取り組めない人間に、高い設定の目標のための努力が出来るのかって、なんだか疑わしい。
「無駄な努力なんてしたくない!」
「努力したって無駄サ。」
の言葉の裏にあるモノは、取り組む前からの諦め(取り組まないことの言い訳)や、努力しても思うような結果が得られなかった時の結果に耐えられない自分への予防策なのじゃないかと思う。1歩を踏み出さなければ、失敗もない。そんな居場所を好んでいるようにも思う。
世間では、結果が全てという事が多いので、世間全般が、良しとする結果以外は、失敗って事になっているかもしれないけれど、各個人で考えれば、それぞれ向き不向きがあるし、持って生まれた能力の差もある。目標設定もそれぞれだろうし、達成にかかる時間もそれぞれだし、特に成長期の子どもなどの場合、人生の序盤なのだから、失敗というより、経験値として積み重なっていくことが少なくないと思うのだけど、そんな風に思うのは私だけなのかな~。モノにもよるけど、身につくまでに時間がかかったとしても、あきらめなければ手が届くっていう事は少なくないと思っている。
私は、勝手に【努力】というモノは、物事に取り組む形の1つであって、結果は伴う場合も伴わない場合もあるが、たとえ、結果が伴わなくても、真面目に取り組む形が、【努力】というモノ。って所に位置づけることにしている。だから? 結果が出ない時の事を考えて、やるやらないを躊躇したりは、あまり好きじゃない。兎に角1歩を踏み出すことで、明日の自分は今日の自分と違ったものになると思っているし、取り組む前から、「あーだ! こーだ!」と言って、取り組まないでいる事は、その可能性を拒否しているように感じる。
で、努力をするにあたって1番難しいのが、【継続】なんじゃないかと思う。続けていても、なかなか結果が出ないと辛いものだと思う。そんな時、
努力は必ず報われる!
って思う事が必要になってくるのだと思う。↑ なんて言葉は、努力をしている人間の心が折れそうになったとき使う言葉なのだと思う。自分のやっている事を疑いだした時のエールなんじゃないのかな。それを取り組む前の人間が 努力=報われる と仮定して取り組もうとするからややこしくなる。
私が勝手に考えている事だけど、例外もあるとは思うが、他者からの評価が低いと嘆く人間は、概ね、他者から高い評価をもらえるような量をこなしてないことが多い。「努力してるな~」と思う時ってのは、当の御本人は、わき目も降らず夢中で取り組んでいる事が多い。そんな時、それをやっている人は、他人が何と言おうとお構いなしにやっているモノだよ。努力の本質は、自己完結が望ましいのであって、他者からの高い評価が欲しくてやるモノではないと思う。本当に努力をしている人間は、「俺は、充分努力している!」とは言わないのじゃないか? 設定した目標にもよるけど、「まだまだ、足りない!」と思っている、あるいは、がんばりすぎて疲れて寝ちゃう、くらいなんじゃないのかな。
自分の存在意義を認めてもらいたいと思うのは、人間の基本欲求ではあると思うけど、他者の目っていうのは、意外と厳しいモノなんだよ。他人から、賞賛されたいとか思うなら、自分の思っている倍以上はやらないと、自分の望んでいるような評価はもらえないくらいに考えていないと、文句ばかりがタラタラ出るようになる。自分に甘く、他人に厳しいのが人間なのサ。だいたい、周りに文句ばっかり言っている方々はそんな方ばっかりだろ。(^^;)
どこの世界にも、ストイックな方がいる。そういう方々は、努力している事をことさら凄い事とは言わない。当たり前のように扱うよね。
後はね~、努力を苦行と考えている方が多い。辛い事を努力と思ってしまう事で、見返りが欲しいと思う事はあるだろうな。努力を前向きに取り組む行為 くらいに考えれば、違ってくるんじゃない? まあ、生きてりゃ、嫌でもそこそこ取り組まなけりゃならないモノもあるけどサ。好きで夢中でやっていたら、やらねばならないことに一生懸命取り組んでいたら、結果が付いてきたっていうのが理想になるのかな~ 他人から、【努力】と評価されることが、苦行ではなく、習慣になっているだけっていう事もあるよね。本人、無理してやっているわけじゃないけど、時間の経過と共に結果が伴ってくるな~んてケースもあると思う。そういう場合、【見返り】欲しがる? まあ、目標によっては、多少辛い事もしなきゃなんないとは思うけど、そこいら辺のライン引きだよね~ 見返りがないと努力ができない自分を作ってしまうと、報われることなんて一生出会えないようにも思う。
努力は裏切らない!
とは言うけれど、【思うような結果】を求めるなら、裏切りの連続とも言える。特に、労力に対して、【見合った見返り】を欲しがるならそうなるだろうな。【少ない労力】で【大きな見返り】を欲しがることが多いから、裏切の連続にもなる。【思うような結果】や【見返り】が、他者が関わっている評価のウエイトが大きいモノであるなら、自分じゃどうにもできない【不確定要素】の部分になるのだから~あんまり考えても仕方がない。
私は、もし、努力して、↑ のような【思うような結果】が得られなくたって、次につながる【何か】が得られると思ってる。【努力】じゃなくても、【やってみなけりゃわからない!】ってのは少なくない。【やってみて】【何かが分かる】っていう事を努力の結果とするならば、【努力は裏切らない!】と言えると思う。
思った結果が他者の関わるウエイトが大きい場合【努力】して、【思った結果】が得られなかったとしても人生そこで終わりってわけじゃなし、「残念だったね~、でも、次があるよ。」でいいんじゃないのかな~? ダメ?
(私が、軽すぎる?)
まあ、1日は24時間しかないし、継続できる工夫をするとか、大きな目標の手前で、小刻みに達成目標を組み込んでいくとか、努力にも工夫とかメンテナンスは必要とは思う。闘う土俵がいいかどうかの確認とかもね。でも、それも、【見返り】ばかりを欲しがっている自分がいるなら、そこまで、戻って、メンテナンスする必要があるように思う。
私はサ~ 自分を振り返った時、一生懸命だった自分がいるってだけで、価値があるように思うよ。それでは、ダメなのか?
一生懸命に頑張る姿は、他人の心を打つ時があるけれど、それが、見返りを求める行為に変換されると、なんだか、なんだか変よね~、って思うのは、私だけなのかな~? 努力も解釈の違いでいかようにもなってしまうって事なんだろうか。生きるってのにも似ているように思う。(^^;)


