中学時代は、-悪ガキ- だった。
2男の中学時は、いろいろやらかして、
何度呼び出されたか、わからないくらいだったし、
-悪ガキ- って、評価は、親ですら、そう思う。って感じだった。
私立高校からスポーツ特待の話が来た時だって、
学校推薦に反対の先生もいたっても聞いた。
幸い、2男と親しくしていた先生の中には、
2男の良い面を認めてくれていた先生もいたので、
辛うじて学校推薦をもらえたって事だったんだと思う。
この冬、2男は中学に顔を出す機会があったけど、
「ずいぶん大人になりましたね~」
なんて、2男を知っている先生に言われちゃった。(^^;)
-理解者- っていうのは、案外そういう感じなのだけど、
-理解者- と -世間の評価- っていうものは、別物で…
-世間- は、必ずしも -理解者- ではないんだよね~。
親が、どんなに「うちの子イイ子」と思っていたとしても、
-世間の評価- というものは、別物。
そんな中に位置するモノに -レッテル- ってのがある。
-レッテル- はいろいろあるけど、それが貼られる時ってのは、
概ね、複数回やってしまった行動の結果に対する
他者評価で与えられる場合が多いんじゃないかと思う。
私は、貼られた -レッテル- で、人を見ることは、
あんまりよくないように思うけど、
善いか悪いかは別にして、
-世間の評価- の1つの形であり、存在するという
認識は持っておいた方がいいように思う。
ママさん達の中でも、「あの人は腹黒い。」な~んて思われようもんなら、
善さげな行動をしたとしても「なんか裏が有りそう。」なんて言われてしまう。
でも、それも、過去に変な事やらかしてる。って事実があるから、
そう思われ、そうなってしまう。
そんなもんだと思う。
まあ、自分で、そう(腹黒いとか?)思ってるなら、
大した問題じゃないのかな?
問題になる時ってのは、
-他者評価- が自分の希望のそれと違う場合?
自分の希望する -他者評価- があると、必要以上に、
-他者評価- を気にしすぎて、振り回される。
でも、-他者評価- ってのは、
概ね、-日頃の行い- の結果だったりするので、
そこは、認めないとね~
だから? -日頃の行い- って大事なんだよね。
変なことすると、だいたい、そんな風に自分の身に返ってくる。
(↑ 希望と違った -他者評価- をもらったり)
中学時代の -悪ガキ- 程度の -レッテル- なら、
大人は概ね、子どもには、寛容なので、
後で挽回するチャンスはいくらでもあると思う。
でも、-レッテル- というモノは、1度貼られてしまうと、
何かにつけて、ついて回る。
なんかやらかせば、
「あの子(人)は、○○だから~」
なんて言われてしまう?
そして、その後に、「どうせ、俺は、○○だから…」なんて続いちゃう。
1度貼りついた -レッテル- はそうやって本人を苦しめる?
でも、そこは、自分の行いの結果と、
現実を受け入れて、真摯に毎日を過ごさねばならない。
多分、-レッテル- を貼りかえるには、
過去の事実を塗り替えるくらいの強力な新しい事実が必要になる?
くらい、大変な事なんだと思う。
それを意識して、事実を積み上げるって、
多分、自分が考えている量の倍くらいはやらないと
認めてもらえない場合がほとんどかと思う。
(それでも足りるかどうか…)
そんな風に認識して取り組まなきゃならないように思う。
うちの場合は、自他ともに -悪ガキ- と思っていたし、
世間はそんなに甘いもんじゃない。とは思っていたので、
「それ認めてがんばるっきゃない!」くらいの感覚はあった。
2男は、幸い陸上というスポーツに出会え、
中学時代の -悪ガキ- という -レッテル- を
払拭する機会に恵まれた。
(まだまだ足りないかもしれないけど…)
中学時代のなにやってもって状況から考えると
ずいぶん違ってきた。
恩師に「大人になりましたね~」なんて言われると、
こそばゆい。
弟の3男の中学入学当時、
兄の2男の、-悪ガキ- という -レッテル- で、
3男が誤解を受けることがあるかもしれない。
ってのは、心配事の1つだった。
案の定、最初のうちは、
1部の先生に、そういう目(悪ガキの弟)で見ていた方もいたみたい。
3男は、2男に比べれば、真面目で成績も悪くない。
時間の経過とともに、そんなものは薄らいでいったように思う。
3男にしたらいい迷惑だったろうけど、
いずれどこかで学ばねばならないことを学べたかも?って思う。
-世間というモノからの評価- に -レッテル- というモノがあり、
扱いには注意が必要。って認識は、人間社会で生きる以上必要なんだと思う。
-悪ガキ- が大人になった時、
-悪ガキ時代- がいい思い出になればいいんだけど…
(うちもまだ、途中かな?)


