面接も、-個人- だったり、グループだったり(GS=グループディスカッション?)
まあ、いろいろ。-圧迫面接- なんてのもあるらしい。(^_^;)
その -面接- で、
「いじめる側といじめられる側とどちらが良いですか?」
って質問があったって、親戚の親御さんが言っていた。
↑ な質問、即座に答えられない。悩む~。なんて意地悪な質問なんだ!。
どちらも辛いと思っている。(親としては、)
モノは小さかったかもしれないけど、長男はいじめられたことがあったし、
お友達に、2男にいじめられてるって聞かされたこともある。
でも、就活の面接で聞かれたら、答えないわけにはいかない?
こういう -問- は大事だよね~。
いつ何時、そんな立ち位置になることがないとは言えないわけだし、
いじめる側の人間が、↑ の -問- で、
いじめられる側の心情を想像することができるとするならば、
ストッパー的役割になるかもしれない。
現実問題としては、そこには、-傍観者- の存在もある。
事が起こってるのを知らないなら仕方ないんだけど、
-見て見ぬふり- の場合もある。
「何か言えば、今度は自分がやられるかもしれない。」
そう考えて、何も出来ないでいるのは、致し方ないのかもしれない。
でも、そこには葛藤がある? -黙認- っていう。
-黙っていること- -見て見ぬふりをすること- っていうのは、
-認めてる- -許可してる- って扱いになる場合がある・・・
いじめは、ほとんどの場合、
イジメる側から見て、何らかの弱者に対して行われる。
人は、比較するのが得意なので、他人より、よく有りたいと思ったりするし、
社会は、他人より秀でているものを求める。
人が自分の存在意義を、他社との比較の中での何かの優劣に求めるなら、
悲しいかな、私は、いじめはなくならないと思う。
そして、人は、-力- を持つことで、
より強くなった気がして、エスカレートしてしまう?。
そいう場合、その -責任- の一端は、周りの人間にもあると思う。
ってか、そう考えるのが、-マトモ- なんじゃないかと、私は思う。
序盤で対応することで、最悪の事態を避けること、それが大事なんだと思う。
子どもたちの社会は、少なからず、大人社会を反映してるもので、
親は、そこに、-なぜ?- と問、対処するべきなんだと思う。
で、就活面接、この場合、質問は2択だから、どちらかになるんだけど、
当事者の彼の答えは、「いじめられる方です。」で、理由は、
「どんなイジメにも耐えられると思うからです。」
彼は、記事、・スポーツ特待生の高校選び-甲子園にいくぞ!で
甲子園に行った野球小僧。
だから?こういう強さを持ち合わせてるのかもしれないけど、
強い子だな~と思ったよ。


