「自分の事が好きですか?」 「(^o^)/、大好きです!」
な~んて、言えなきゃいけない?それが、『自己肯定感』?
「自分を大切な存在だと思うこと?」
それが、『自己肯定感』?
そりゃあ、自分を大切な存在なんだと思うのは大事なんだろうけど、そう思わないと生きるのが辛くなる?人間なんてちっぽけなもんだよ。それに、人間だって、生物なんだから、生きるのなんて当たり前。
誰かが、「大切だよ。」って、言ってくれないと困る? 誰かが、「生きてていいんだよ。」って言ってくれないと生きられない? なんか、贅沢。なんか傲慢。そうでもない? (あるに越したことはないんだろうけど)
生まれてきちゃったんだからさ。生きるしかないっしょ。と私は思うけど。 人間って難しいね。・・・
『自己肯定感』って必要だろうけど、普通に子育てしていればそれなりに育めるものと思う。そうでもないのかな?何か、特別なことをしなければならないとしたら、親の荷は重すぎない?
だって、普通の親が、子ども、産んでたら、もう、その子のいない生活なんて、考えられないじゃん。「それで、いいじゃん。」と思う。ダメ?
一緒に遊んで、笑って、時々、ハグして・・・ フツーのおっかさんは、みんなやってる。
ただ・・・世の中が進歩してきて、 ありのままを受け入れて、ありのままを愛してっていう素朴な『愛情』が、子どもに伝わっているかっていうと、???。 の場合も少なくないのかも?とは思う。
ステーキがご馳走だとして、毎食、ステーキ食べていたら、ご馳走じゃなくなっちゃうのに似てるかな?それで、伝わらないというか、上手く育めないような気はする。
便利な世の中になって、少し手を伸ばせば、ほとんど、何でも、割合簡単に手に入ってしまう。
そこそこの空腹では、どんなご馳走も色褪せる・・・そんな事を思う。喉が乾いた旅人には、水だってご馳走になる。時には、そんな水の飲み方をした方がいいようにも思う。
入学式や卒業式、一昔前は、出席者は1家族1人の親だった気がするけど、今は、当たり前のように、両親が出席したりする? (その他大勢も出席するのか、最近、人数制限があった。) 競争は良くないって、運動会の徒競走をなくしちゃう? (長男の時、あったな~)
愛情たっぷりが当たり前で、転んだら「かわいそう」って、目の前にあるつまずきそうな石をどけてあげる・・・
それだと、シンプルな『愛情』なんて、見えにくいモノになんない?
時々、ハグして、時々、悪天候の中に放り出して、「おかえり」って、そんな繰り返しが足りないような気がする。
普通の食事を美味しく食べるために、時には、すっごくお腹を空かせることも必要だってことかもな~なんて思う。
以前にも書いたけど、私は、人間には『経験で咲く花』があると思ってる。
『自己肯定感』も、完璧な状態で渡されるものではなく、不完全な状態で受け取り、自身の中で熟成していかねばならないものなのじゃないかと思う。
最近の子供たちには、それを熟成するための、つまずく石がない。困難がない。苦労がない。壁がない。? 何しろ、怖いものもなかったりする? (雷親父も見かけないし、もう、先生も怖くない?)
全然ないわけじゃないのだろうけど、意識しないと、必要量に満たないってのはあるんじゃないのかな。さらに、満たない部分を、親が肩代わりしようとしたり?
そんなの見ると、人間の『脆さ』を育んで、どうする?と思う。もう育ってしまった人もいるかな?
私はね、ありのままの自分を受け入れるなんていう『自己肯定感』を感じたのは大人になってから。
今は、生まれ変わっても、今と同じ人生歩んでもいいやって思える人生を歩みたいと思ってる。子ども達に会いたいもん。
『自己肯定感』って、案外、人生のどっかで思えばいいくらいのもんなんじゃない?



>フツーのおっかさんは、みんなやってる。
これが「フツー」でない家庭も、多いですねぇ。
なんというか、忙しすぎるのですよね。 親も子も。
自分は自分、子どもは子ども、みたいな。
小学生も高学年になってくると、自立したものと
思い込んでいるというか・・・ハタから見ると
まだまだ大人の手が必要だと思う子も多いです。
自己肯定感は、ないと困りますよね・・・
ウチの末っ子コンビは(旦那とクマですけど)
どうにも「自分なんて」といういじけたところがあるので
ミッションを与えてクリア⇒できたじゃん(^-^)!
という過程を経て、効果があるかどうか
観察しているところです。
上のふたりは、根拠のない自信に満ち溢れていますねw ←私に似て。
>一緒に遊んで、笑って、時々、ハグして・・・
>フツーのおっかさんは、みんなやってる。
↑ やってない家も多いっすか・・・
難しですね~、やりすぎもやらなさすぎも良くない。
フツーやってる人が悩んでる。だけ?っすかね。
うちは、長男が、ちょっと問題。統合失調症?とか言われて・・・
『自己肯定感』も足らんし、鍛錬も足らんかったかと、考えています。
鍛錬というより、やっぱり認めて可愛がってあげて
いいんだと思いますけどねぇ。
小さい頃から、そのようにしてこられたと
おっしゃってたし・・・難しいですね。
ウチの周りの子どもですと
例えば引渡し訓練の日に友だちの家に預けられて
夜8時まで親が迎えにこない、とか
その子は、体育着の名前もすっかり薄くなってるのに
そのままで、子どもが自分ですると思ってるのかな?とか
できるとしても、声かけはしてあげたほうがいいですよね。
筆箱の中身などについての注意も多いですし(鉛筆の本数とか名前とか)
親は何してんのかな??と、思ってしまいます。
心配ありがとうございます。そんなこんなで、今回の記事みたいな?
愛情も伝わらなければいけないし、
子どもが感じ取って、本人が成長しないと、イカ~ン!なんて。(ーー;)
なんか、もろいゾ!っと。
自己肯定感のとらえ方が、ちょっと違うと思います。
自己肯定感は、「長所と弱点を受け入れている」状態で得られるものです。
弱点は克服するものでしょ?という反論もあるかと思います。
でも、そもそも人間は弱点があって当たり前です。弱点があっても、それをカバーできる部分もある。両方あっていいんだよということです。
弱点があれば、失敗することを怖れます。怖れたら、何が起きるか?
不安が増し、チャレンジすることをやめます。それは、可能性を狭くすることです。
子供の目の前の石ころを、親が取り除いてやることが正しくないのはもちろんです。
でも、その石ころにどう挑むのか。失敗するのが怖い子は、石ころの前でうずくまってしまいます。
そんな時に、親が「失敗しても大丈夫。失敗しても大切な存在なんだよ」と伝えてあげることで、挑戦する勇気を得るのです。
つまり、小さい時にこの感覚を育むことで、大人になってから意欲的に自分の人生に取り組むことができるのです。
かつて、自分に自身がもてず(自己肯定感が低かった)意欲的になれなかった私からのアドバイスです。
ご訪問、コメントありがとうございます。m(_ _)m
ご指摘は「自己肯定感のとらえ方」ですね。
参考にし、また考えたいと思います。